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【JVCKENWOOD NEWS】

Through Tak's Eyes

究極のメカ「万年時計(萬歳時鳴鍾)」

 

前号では「極小サイズのモノづくり(DNA Origami)で再び世界をリード」についてご説明しました。
前号のコラム記事はこちら

 

今回は DNA Origamiと対極をなす究極のメカ作りについてご紹介したいと思います。

 

約170年前の1851年に、とてつもなく複雑で1年間動き続ける機械式時計が製作されました。この時計は、「萬歳自鳴鍾(まんねんじめいしょう)」と呼ばれ、天球儀、時報付き和時計、二十四節気、曜日、洋時計、十干十二支、月齢の7つの機能を備えた究極の機械式時計です。約1,000の部品で構成され、特殊なゼンマイおよび複雑に工夫された動力伝達メカにより、ゼンマイをいったん巻き上げると約1年間の長期にわたって作動するというものです。


萬歳自鳴鐘

萬歳自鳴鐘 (レプリカ)


この究極の時計を製作したのは田中久重という江戸時代末期から明治を生き抜いた技術者・発明家でした。このような超精密機械を先端技術もない時代に一人で開発・製作したことには驚嘆せざるを得ません。彼は現在の福岡県久留米市出身で、当時流行していた「からくり人形」の新しい仕掛けを次々と考案して大評判となり、「からくり儀右衛門」と呼ばれました。彼が製作した「弓曳童子」や「寿」「松」「竹」「梅」の4文字が書ける「文字書き人形」は、「からくり人形」の最高傑作といわれています。


弓曳童子
写真引用:フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』

文字書き人形
写真引用:フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』


田中久重は後に「東洋のエジソン」とも呼ばれ、晩年上京し75歳で田中製造所を設立しました。この企業は後に芝浦製作所となり現在の(株)東芝の基礎となりました。

 

2004年、文部科学省による国家プロジェクト「江戸のモノづくり」の「万年時計復元・複製プロジェクト」によって、萬歳自鳴鍾が分析・復元されました。当時の最先端技術を駆使して、100人以上の技術者・工芸家・匠が関わりましたが、分析・復元には10ヶ月以上かかったと言われています。しかし、オリジナルの真鍮製のゼンマイは復元出来ず、ステンレス製のゼンマイを使用せざるを得なかったそうです。このレプリカは、2005年開催の「愛・地球博」に展示されましたので、ご覧になった方もおられるでしょう。なお、展示終了後、真鍮製のゼンマイが復元され交換されたそうです。

現在「萬歳自鳴鐘」の原品は国立科学博物館に寄託され、2007年には機械遺産(22号)に認定されました。また前述の弓曳童子は現在2体残っており、それぞれトヨタ産業技術記念館と久留米市教育委員会に所蔵されていますが、久留米市教育委員会は修復後5,000万円で購入しました。文字書き人形は米国で発見され、修復後に久留米市教育委員会が6,000万円で購入したそうです。金額は兎も角、現代の先端技術を駆使しても復元が難しい「万年時計」や「からくり人形」を製作した先人のモノづくり技術には驚愕します。

 

田中久重は高い志を持ち、創造のためには自らに妥協を許さず、「知識は失敗より学ぶ。事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に、成就があるのである」との言葉を残しています。過去・現在・未来を問わず事業家としてはもちろん、一人の人間として意味深く普遍的な言葉ではないでしょうか。