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【JVCKENWOOD NEWS】

Through Tak's Eyes

昭和天皇の高度な外交感覚

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在りし日の昭和天皇(出典:NHK WEB「天皇陛下と上皇さま」)

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国賓エリザベス女王との晩餐(出典:毎日新聞デジタル「エリザベス女王、在位70年 王室のプロ、人生を国民に」)


4月29日は「昭和の日」というゴールデン・ウィークを構成する祝日です。2006年までは「みどりの日」と呼ばれていましたが、2007年1月施行の改正祝日法で「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いを致す」として「昭和の日」と定められました。しかし、読者の皆様には「昭和の日」は昭和天皇の誕生日としてよりなじみがありましょう。

憲法で定められる天皇の国事行為は多々あり、その中の一つは「信任状奉呈式」における信任状の接受です。これは新任の外国の特命全権大使が信任状を天皇陛下に捧呈する儀式です。外務大臣または他の国務大臣が侍立することとされています。日本は約200カ国と国交を樹立していますので約200名の大使が日本に赴任されています。大使の任期は平均3年として年間70回程度、天皇は信任状奉呈式に臨まれます。その都度当該国との外交関係についてブリーフィングを受けられますので、天皇の外交知識は相当深いと容易に想像できます。


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信任状捧呈式(宮殿 松の間)(出典:宮内庁WEB)

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ちなみに大使一行の皇居への送迎に際しては、大使の希望により、皇室用の自動車か馬車を提供(出典:フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』)


元英国ロイター通信特派員のジャーナリスト徳本栄一郎氏の著書「エンペラー・ファイル 天皇三代の情報戦争」が約1年前に発行されました。私はたまたま、外国人記者クラブ(FCCJ: Foreign Correspondents Club of Japan)で本著を知り読んでみました。同書は、英米の公文書や昭和天皇の通訳を務めた真崎秀樹の証言を録音したテープを基に我々が知らなかった昭和天皇の姿が描かれており、その高度な外交感覚に感服しました。過去知り得なかった、昭和天皇の国際情勢への洞察力、共産主義の脅威に対する強い警戒感、世界平和への強い思いをぜひ読者の皆様と共有したく以下にその一部を紹介します。

まずは天皇のカリスマ性について以下のように書かれています。

皇居を訪問する要人は全て国賓や政府首脳で日本政府が細心の心配りをする賓客だが、天皇の前に出た途端、驚くほど素直に内心の悩みや不満を吐露する。
1975年に来日した英国エリザベス女王も天皇の前で弱音を吐いている。

女王「君主というのは難しいものですね。陛下は既に在位49年にもなられますが、私はまだ23年ですわ」

その翌年、女王は米国の建国200周年記念式典出席のため訪米する予定であったが、かつて独立戦争で反乱を起こした国に行くのは変な感じと漏らしている。

(徳本栄一郎著「エンペラー・ファイル 天皇三代の情報戦争」を一部要約)

こういった背景があるためか、各国の要人たちも率直に状況を伝えたのでしょう。

英国における東南アジアの情報活動も行っていたシンガポール駐在の英国総弁務官ロバート・スコットが皇居を訪ねて来た際、以下のやり取りが証言テープに残されている。

天皇「(インドネシアにおける)共産党の状況はどうですか」
スコット「あの国で共産党は最大の政党で、スカルノ大統領は他党と同様に彼らをコントロールできるのかもしれませんが、単にスカルノの権力維持の策略に過ぎないとする者もいます」
天皇「インドネシアでは中国共産党の影響力は強いのですか」
スコット「その通りです。ただ矛盾するのは、インドネシアが東欧諸国からも多くの支援を受けているという事実です。ユーゴスラヴィアのチトーを手本にしたいようですね」

また、アメリカの銀行家でありロックフェラー家第3代当主であるデイビッド・ロックフェラーが皇居を訪れた際には、

天皇「フィリピンの復興の状況はどうですか」
ロックフェラー「マグサイサイ大統領が就任するまでは共産化の恐れがありましたが、今ではそれもなくなり、経済も好転しつつあるようです」
天皇「それを聞いて嬉しく思います。日米の協力は両国だけでなく、世界の平和にとってとても重要だと信じています」

というやり取りがあったと記録されている。当時はキューバ危機など各地に火種があり、天皇が本気で共産主義の脅威を危惧し、あらゆる機会を見つけて情報収集を図っていたことがわかる。

(徳本栄一郎著「エンペラー・ファイル 天皇三代の情報戦争」を一部要約)

 

まだ、ウクライナ戦争は終息の気配が見られません。日本では一週間後に、陽光に満ちたゴールデン・ウィークを迎えますが、その初日の昭和の日には昭和天皇の世界平和への強い思いがあったことを記憶に留めつつ、ウクライナ戦争の一刻も早い終息を願うばかりです。